読者の皆様より1
お名前・県名
年齢
(平成11〜13年)
感 想 文
中 村 (90)
長崎県

H14.10.25作成
大阪の教え子から贈られて読んで、眺めて懐かしく思いました。『軍艦島グラフィティ・故郷は無人島』。このハガキに記することではないと思いましたが、先日『卆寿』を祝ってくれた卒業生に作った唄を送ります。

潮騒の唄
  1. 野母の山並 茜に染まり
    昇る朝日の ときめきは
    忘れられない 故郷の香り

  2. 陽は燐々と 窓辺を照らし
    我が家の庭は 運動場
    潮騒の唄は 祭りの囃子

  3. 悲しい時も 楽しい時も
    大海原に 沈む太陽(ひ)が
    明日があるよと 微笑む端島
さあ!耳に手をあててごらん。
聞こえるでしょう〜。潮騒の唄が、
端島はいつまでも、何処にいても
いきているよ〜と。               西暦2000年 3月26日
久 米 (90)
長崎県

H14.10.25作成
 私は大正8年に端島に行き、50年間暮らしてきました。私の12歳の年でした。昭和45年の閉山前に箱根に住むようになり、また、今では長崎に戻りました。今回、すばらしい写真や念願を込めた絵をありがとうございました。この本が届いたときは食事中でしたが、初めから終わりまで見てしまいました。
 この本の中の終わりから3枚目にコンクリートの柱に書かれている19−8と書かれていたのは19号の8階と思いますが、8階におられてた村上さんは覚えています。私は19号の9階に住んでいました久米です。始めの2頁に山道での写真に写っておられるのが村上さんではないかと思います。
河 野 (79)
長崎県

H14.10.25作成
 私もS29〜S35年資材の鉱員として端島にいました。懐かしいかぎりですね。私のいた頃と若干異なりますが、今でも懐かしい思い出の島です。台風を身をもって体験することなど3人の息子共々思い出の島です。
中 島 (62)
宮崎県

H14.10.25作成
見合い結婚し、宮崎より端島に嫁ぎ、3年ほど生活していました。長女を出産後閉山になり、大阪ー青森へと転勤になり昭和54年に宮崎へ帰省したのです。主人は平成11年12月に他界しました。とても懐かしく、村上さんからのご案内にて求めました。
岩 松 (33)
長崎県

H14.10.25作成
 長崎のNBCの報道で知り、早速購入しました。私も端島で生まれ、小学校2年まで過ごしました。閉山の日が私の8歳の誕生日の日で忘れられない日となりました。私は今も端島が大好きで、また人が住めるようになったら必ず戻りたいと思っていたほどです。
 端島に渡れる行事があると参加して、一度は2歳の子供をおぶって私の生まれた島を見せに行きました。岸壁はすごく怖かったけど、下を見ないように梯子を登りました。
 閉山式の写真の最前列の向かって右から3人目が私です。何もかも懐かしく、戻れるものなら戻りたいし、これからもずっと生きている間は私の宝。私の故郷です。
ちなみに私が端島小学校でお世話になった先生とは今も連絡しており、長崎に住んでおられます。
吉 田 (63)
千葉県
H14.10.26作成
絵がとてもよく書けていて写真も真に迫っていてとても感動いたしました。
山 川 (42)
福岡県
H14.10.26作成
 この本を見つけたとき、心がじ〜んとしました。私もここに住んでいたのでとても懐かしい…というよりも故郷を思うような気持ちになりました。このような感じは住んでいた人だけが感じる喜びだと思います。
 中を見ながら「ここも知っとる」「ここも分かる」と一人で涙をにじまていました。私の家も19号で9階に居ました。自分の子供と一緒に行って迷路のような建物を見せてあげたいといつも思っています。私にとっても端島は「ふるさと」です。
奥 (45)
(旧姓・一瀬)岡山県
H14.10.26作成
 私も25年前島を離れた一人です。この本は私が小学6年の時に担任だった鶴先生(旧姓は松尾先生)が送ってくださったものでした。
 昨年の秋、30年ぶりの同窓会が長崎であり、友人・先生との再会に感動し、まだその余韻が残っているときにこの本が贈られてきたのでやはり泣けました。感動するものがありました。
 作者である村上さんとは11歳の年の差があり、面識はありませんが、このような本を出版してくださったことに感謝しています。どうぞ気持ちをお伝えください。
丸 田 (69)
大阪府
H14.10.26作成
 少女時代と、若衆時代との年齢差での中で、テレビもなく報道機関にあまり恵まれていない事はあるとしても、お互いにその時代に過ごした昔日の思慕は、皆変わらないとつくづく感じます。
 在島6年間で寮生活者として知らなかった部分も村上さんの説明とイラストで知りました。有難う。すばらしい企画でした。思い出への協力感謝いたします。
 少年時代から青年、壮年、老年と各人の思いがあると存じます。若き人、老しき人の資料を集結し、未発表の作品ができればありがたいです。別離した人々の交流も端島会以外で得られるやも!!
野坂 (70)
大阪府
H14.10.26作成
 私も端島に約15年在島し本当に懐かしく拝読しました。たくさんの人々が生活し、一時期は5千人も居た時もあった事を思うと、この本の出版には皆さんも喜んでいる事と思います。
 今後はいろんな人がいて、いろんなエピソードがある事と思います。もっと幅広く収拾したら端島の内容がより充実して良い物になると思います。
村 山 (74)
愛知県
H14.10.26作成
端島で過ごした年代、期間を問わず、想いは一つ。小生S38年10月に愛知県に移りました。生まれ育った38年、いつも島での生活を思い出しています。もう1冊注文して子達に贈ります。
高 比 良 (58)
岐阜県
H14.10.26作成
 良く出来ています。スバラシイーです。イラストも子供たちの気持ちが解る様です。この島で育った人しか解らないと思いますが、愛着心はいつまでもあります。小中学校の新築、その翌日に火事がありました。でも今でも立派に在りますね。
棚 沢 (47)
東京都
H14.10.26作成
 私も貴方と同じ『端島っ子』です。ただ、昭和38年の11月末に詩にあるように色とりどりのテープやドラに送られてドルフィン桟橋から千葉県へ引越しました。47歳の今も故郷は端島です。31号棟に住んでいました。幼稚園の時に新築の31号に入居した時、水洗トイレが嬉しかったし、雨に濡れずお風呂にいけるところでグッドでしたよ。
 今年の5月に軍艦島めぐりをしました。同窓会の企画のことです。各々住んでいた所と遊んでいたところを追ってしまいます。貴方の『入園日』を読みながら、この階段を下駄の音を響かせながら走り下りるのが好きだったことを思い出します。ずいぶん昔のことなのに写真の1コマ1コマように鮮明にこの島のことを覚えている者がここにもいます。
 本にしてくれてありがとう。喜納さん、宮沢さんありがとう。島を出た後、「炭鉱出身」ということでいじめられた人もいるようです。でも、各々の胸の中にある端島はVIP扱いだと思います。大切な島です。たとえどこに居てもです。久しぶりに幼馴染にあった気分です。ありがとう。お元気で。
米 本 (53)
宮崎県
H14.10.26作成
 なつかしさでいっぱいです。見ていて涙で目がかすみ、絵がぼんやりして、またそれが郷愁を誘うのです。写真で見る端島とは別の味わいがあります。
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『軍艦島グラフィティ』を読んで頂いた方々からお便りをいただきました。読者カードやお手紙やハガキを送ってくださった方々に深くお礼申し上げると共に、このページでご紹介させていただきます。
(一部、字が達筆すぎて読めない方の文は省かせていただいてます)