読者の皆様より2
お名前・県名・年齢(平成11〜13年) 感 想 文
内 田 (67)
愛知県
H14.10.26作成
 も端島に22年間住んでいました。端島に関する書籍は種々出版されていますが、本書もなつかしく読ませてもらった。友人に差し上げたいのでお送りください。次に出版するときは『緑なき島』のタイトルが我々年代には懐かしいと思う。
田 中 (59)
長崎県
H14.10.27作成
 私もこの島の最後の4年間を過ごさせてもらった者です。端島小中学校給食栄養士として勤務していました。ですので感動しながら見させてもらってます。すばらしい温かさの出来栄えの絵本だと思います。
 私もここでの4年間があまりにも魅力的で楽しくて一生ここに暮らしたいと思い、下手な紙芝居を妹と一緒に合作しています。島へ遊びに来た事のある妹も、この絵本を見たら大喜びするでしょう。
宮 崎 (58)
福岡県
H14.10.27作成
 私の娘は昭和40年10月に軍艦島の病院で生まれました。先天性の股関節脱臼で生後10ケ月で長崎大学病院で手術をし、ギブスに入って帰ってきました。両足を開いたままのギブス生活が4ヶ月。まっすぐな足になるよう、弁当をもってアパートの各間にある公園で1日中遊ばせて治しました。
 『軍艦島グラフィティ』を大変うれしく孫と見ています。娘は今は看護婦さんで頑張っています。こちらに来た頃はよく長崎に連れて行きました。遠くかすんで見える端島を見て小さな娘は「私の生まれた所」と涙を流して見ていました。今後のご活躍を祈ります。
武 内 (58)
千葉県
H14.10.27作成
 たまたま実家に帰ったとき、熊日新聞の記事に接しました。数年前、息子はこの島を舞台にした『剣道少女』というドラマを演出しました。シナリオ大勝を受賞したその脚本は、この本と同じく無人化するまでの島の人の生活や炭鉱事故、子供たちの涙の別れをリアルに描き、高い評価を得、当時評判になった『大地の子』と並びノミネートされました。
 それ以来、軍艦島は私たちにとって忘れられない島になりました。この日熊本に来なければ、この本と出合う事もなかったのに、これも何かの縁と思い買い求めました。ちなみに私は30年前、佐世保で教師をしていました。
森 本 (29)
長崎県
H14.10.27作成
 大変懐かしく、勉強になった。REMEMBER1974(昭和49年)4歳。著者村上さんによろしく!
小 島 (28)
長崎県
H14.10.27作成
 著者村上さんのわずか7年間ですが、端島でもひきこもごもの思い出がとても可愛い絵と文で描(書)かれています。私は端島の隣、高島で生まれ育ち端島にも(閉山後ですが)10回以上行っています。
 私にとって端島は故郷ではないんですけど、同じ炭鉱の島、そして同じ町内(高島町端島)ですので、とても懐かしく思えました。そして、高島が閉山になり島を出た辛い思い出がありますので、端島をやむなく離れた方々の想いが痛いほど解ります。
 もっと数多く村上さんの絵と文が見たい(読みたい)なぁと思いました。
 表紙裏や本文の中に村上さんやご家族、それに端島の様子の写真などが載っていてレイアウトもとても印象的で良かったです。
市 場 (67)
長崎県
H14.10.27作成
 端島会のお便りと新聞で知りました。私もS29〜30年に端島小学校教諭としておりました。それ以前から約6年間生活した場所です。戦後引き上げて初めて幸せな生活を送った土地ですので、とても忘れることはできません。
 私の母も喜ぶと思って2冊頂きました。身体は不自由ですが、目も耳もはっきりしております。共にこの絵本の中のことを中心に思い出話に花を咲かせたいと思います。
 主人は大瀬戸出身で、今、郷土史をまとめつつありますが、この絵本を見て「これだけ上手くまとめきれば最高だね。」と申していました。本当にご苦労でした。感謝いたします。今後のご発展心からお祈り申し上げます。著者の村上様へくれぐれもよろしくお伝えくださいませ。お会いしたい気持ちです。
古 閑 (78)
兵庫県
H14.10.27作成
 私は大正15年1月15日に『緑なき島・軍艦島』に生まれ育ち、昭和49年閉山と共に島を離れ、現在地にて生活しております。親子三代この島で生き、生活の中で、この島だけの特別な団体生活が一つの家族のような生活であり、想いでは多く忘れられません。
 すばらしい本が出来たことを妻と共に喜んでいます。妻は保育園の先生でした。「崩れゆく記憶」も福岡の娘夫婦に送っていただき涙が出るほどの言葉にならぬ衝撃で、崩れ去る軍艦島に想いを走らせ、島の思い出を大切にしています。
宮 田 (58)
長崎県
H14.10.27作成
 朝日新聞でこの本の事を知りました。2冊買いました。私は高島で生まれ、結婚まで三和町の香焼で育ちました。亡叔父は端島で床屋さんをしていました。現在一家は愛知県に住んでいます。
 香焼から見る端島、高島、伊王島はとても美しく、特に夕日が端島の沖に沈む時が一番綺麗です。一度は行きたいと思った端島を絵本で見ることができてうれしいです。「夕顔丸」「つや丸」など懐かしい名前。まるで自分も端島の住人になったような気持ちになりました。
 1冊は叔父の家族に送ってやりたいと思います。村上さんいつまでもお元気で。
西 
長崎県
H14.10.27作成
 『軍艦島グラフィティ』見ました。読みました。感動しました。昔、若い頃に「緑なき島」という映画がここで撮影されたはずですが、頭に残っていません。国策映画だったのでしょう。コンクリートで固められた孤島で幼時を過ごした思い出が、あんなに純粋にすばらしい人間集団であったことは幸せでしたね。
 閉山時に飼い猫が少なからず残されたはずです。その行方と、島原の火砕流で犬は呼びもどされても猫は他人について行かず、全滅した話を絵本にしてください。
石 橋 
長崎県
H14.10.27作成
 拝啓 福留さんを通じての『軍艦島グラフィティ』早速送って頂き有難うございました。小生も端島生まれ、端島小学校卒業だけに、端島が懐かしく、昭和48年の秋、閉山前の端島を8ミリビデオに収めた事を思い出し、あなたの絵と文を懐かしく見せて貰いました。敬具。
久 保 崎 
熊本県
H14.10.27作成
 端島会の情報を教えてください。私もS38年前まで端島にいました。
照 井 
和歌山県
H14.10.27作成
 軍艦島の絵本をありがとうございました。私も十数年前、高島閉山の取材で十年ほど島通いをした者です。その度に軍艦島に渡り、荒れた島を撮っていました。
中 村 
大阪府
H14.10.27作成
 汐降り町、南部のプール、地下の浴場、島の山祭り、etc いろいろと山の事が目に浮かんできます。30数年前の生活が思い出されます。本の到着心よりお待ちしています。(旧姓・丸 山)
永 位 子
長崎県
H14.10.27作成
 色々な想い出が行ったり来たりしています。大正8年生まれの80歳です。端島での暮らしの想い出はとても素晴らしいものばかりです。同級生の人は殆ど亡くなりました。
 端島のグループはとても団結心が強いのですよね。一里四方ない島の端島を、玄関灘の荒れた波が端から端へ飛び越えるのを夢にも忘れません。現在長崎県のすこやか長寿大学に通っています。
 「秋晴れの軍艦島や波しづか」   永位子
高 野 
京都府
H14.10.27作成
 昭和27年〜29年 勤労課長代理、昭和31年〜33年 勤労課長として働いていた者です。著者の御労作に敬意を表します。宜しく御鳳声なし下さらば幸甚に存じます。
竹 下 
長崎県
H14.10.27作成
 三菱炭坑端島に父が勤めていた関係で端島で生まれ、女学校3年生まで住んでいました。女学校時代は長崎に住み、土日祝日は夕顔丸に乗り、玄関灘の荒い波にゆられ、ハシケに乗り移る時の様子は忘れられません。
 何か一つ端島のことを綴りたいと今日まで参りましたが、端島のことを書いた本が出たという事で興味新々です。
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