神社から急な坂道を登っていくと、山頂に峰公園があります。ここが、談合と武器製造を行っていた場所と思われています。
今では展望公園が設けられ、天草・島原を望むことができますが、当時は鍛冶音がもれないように、木におおわれた中に遠見塚をつくり、見張りを立てて武器を作っていたと云われています。

寛永14年(1967)10月24日
天草四郎はここ湯島で
天草と島原の盟主(総大将)
となりました。
わずが16歳という年齢でした。
←山頂の峰公園にある【談合の碑】

天草四郎に関する情報は
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湯島(談合島)2
【鍛冶水盤】
天草・島原の乱 歴史の散策
 港から小道を登って行くと神社があります。乱に使用された武器はここの神社に設置されている石の鍛冶水盤で作られました。
当時、湯島には鍛冶職人28人が集められ、また皆キリシタンでもありました。 そしてこの島の人々も島原の原城に立てこもり、最後まで死力を尽くし、天に登っていったのでした。
島原の乱以降の湯島は、数年間無人島になりました。

この島、気に入った!
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有明海に浮かぶ小さな島・湯島には歴史と漁業と人情がいっぱい。
周囲4キロほどを歩いて一周する事をお勧めします。

夏には海水浴場がOPENし、釣りをしに行く人も多いです。
飲食店は港に一件しかありませんが、ここのカレーうどんは美味しかった。