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名前(生まれ) 思い出
水 本
(S34年8月)
H15/03/10作成
 生まれたのは長崎市内の病院ですが、その後からはず〜と 端島に住んでいました。
 島の中で何度か引っ越していますが、朝、学校に行って、帰りは、もう次の家に帰っていたり(笑) 島の中は炭鉱の建物以外、ほとんど遊び場でしたから 迷うこともなかったのでどこに住んでいても、友達も変わらなかったから楽しかったですね。
 住んでいた建物は、確か、60、20、14号です。親も家で宴会する時はたくさんお客が来ていて、すごくにぎやかだったけど、子ども達も、お誕生会などイベントや一緒に遊ぶ時も、10人以上で遊ぶこともあったし、百人一首等もとても盛んでしたね。
 教室の窓から給食のパンを投げると、カモメが飛びながらキャッチして食べたのを見て楽しんでいました。
松 尾
(S42年2月)
H15/03/11作成
 たしか地獄段と呼ばれてた所を通るのが怖かった、それと長崎に行く時せい丸、つや丸の区別がつかず両親にいつも聞いていたらしい、住んでいた所は最上階に幼稚園があるコの字型のアパート。
松 尾
(S42年2月)
H15/03/23作成
 1年生の学芸会で桃太郎のおばあさん役をやったのは村上さんでしょ?おじいさん役は僕だったんだよ、それで主役の桃太郎は石川君だったかな。
熊 野
(S26年10月)
H15/03/28作成
 昭和30年頃父の仕事で端島に家族4人で住むようになり、その後、妹が端島で生まれました。端島には約10年間お世話になりました。
渡 邉
(S7年)
H15/05/02作成
 端島神社は、私の子供時代の遊び場の中心で、社の柱と鳥居の柱をお互いの陣地として取り合い(ルールは忘れましたが・・・)をやったり、社の柱を鬼の陣としてカクレンボをやり、最初の間は神社周辺だけを隠れ場所にするのですが、次第に九階まで、7階までと広がり、最後には4階位となり、ひどい時は友達の家に上がりこんでオヤツや昼食を始めました。鬼も心得たもので帰ってしまうので自然に解散していました・・・。
 お祭り日は、4月3日、この日、一つだけ楽しみにしていたのは、お神輿が通る道筋に、張られる締め縄を支えるために、立てられる竹ざさを回収して、釣り竿にする事でした。
石 井
(S35年7月)
H15/05/09作成
 高島で生まれ、小学校4年生の時、端島に引っ越しました。S49年1月、中1の時に閉山を迎えたのですが、閉山が決まるまでは、男女一緒に遊ぶことなんてなかったのに、決まってからは「放課後、缶蹴りする者は○○に集まろう」と授業中にメモ紙を回して、男女大勢で遊んだことを思い出します。
 みんな離 れ離れになるのがつらくて、少しでも長く一緒にいたかったんだと思います。
高 村
(S36年8月)
H15/05/18作成
 このページで写真を見て、いろいろ思い出しています。
仲のよかった島本君 児玉君 など会えたらうれしいです。
端島グラフィティ思い出4


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