戸馳の使者
戸馳(とばせ)島では、熊本の細川藩から大矢野一揆勢への、文の配達をしておりました。
現在の戸馳島―三角には橋がかかっています。三角フラワーアイランドや若宮海水浴場などがあり、夏は特に賑わいをみせます。
四郎の家族一同が捕らえられる
 郡浦からの飛脚をむかえ、細川藩は驚きました。 なにしろ細川藩の浪人百姓が一揆の中心人物だったのですから。 直ちに宇土の江部村を包囲して、次兵衛(家主)、母マルタ(38)? 姉レシイナ(21) 妹まん(6) ほか切支丹関係者を捕らえました。

交換交渉
 藩としては直ちに益田甚兵衛と四郎を捕らえなければなりません。 そこで、「大矢野の庄屋で一揆の大将:渡辺小左衛門、その義弟:瀬戸小兵衛は、天草の人であるゆえに天草に返す。そのかわり益田甚兵衛、四郎は宇土の人間であるゆえ、宇土に返せ。」という交換交渉をもちだしました。 11月3日付けで手紙を小左衛門と小兵衛からは小左衛門の父:伝兵衛に、家主である次兵衛には甚兵衛宛てに手紙を書かせました。

戸馳村の使者
 使者には郡浦の彦左衛門では、逆に人質として囚われる危険性があるため、戸馳(とばせ)村の庄屋:小左衛門があたることになりました。 使者とはいえ敵地に行くのは危険がともないます。 戸馳の小左衛門は自分の文も添えて、戸馳の村人を使って、中度山で返信を待たせておく事にしましたが、大矢野からの返信はありませんでした。
 その後も、手紙は大矢野に届けられましたが、この交換交渉は、甚兵衛・四郎ををおびき寄せるための、罠だと見抜いたのか返信はなく、とうとう四郎と甚兵衛は、姿をくらましてしまいました。

備考
 後に、最後の合戦地である原城攻防戦の際にも、同じように渡辺小左衛門、瀬戸小兵衛、母マルタ、姉レシイナ、妹まんを利用し、人質交換の条件を出しましたが、肉親の情にすがる呼びかけにも、四郎、甚兵衛、渡辺伝衛門、渡辺佐太郎、瀬戸理兵衛の殉教の心を動かすことは出来ませんでした。

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戸馳島から宇土半島を望む