日本初のマジシャン?
 天草四郎といえば、奇跡をおこす人として知られています。 一揆側から見れば天の使い、幕府側から見れば妖術使い…。 実際に四郎が本当に神業的な超能力を持っていたのかは不明ですが、乱の首謀者である浪人の天草5人衆が、ホラをふいてまわった…とか、長崎に行ったときに奇術(マジック)を習ったのではないか? という説もあります。 だとしたら、四郎は日本ではじめての西洋奇術師(マジシャン)ということになりますね。


●四郎が天をあおき、目を閉じてお祈りをすると、一羽のハトが空から舞いおりて四郎の腕にとまった。 四郎が手のひらをさしだすとハトはすぐ卵を産み、割った卵の中から、キリストの画像と巻物の聖書がでてきた。そしてハトは「ズイソ、ズイソ、ズイソ」と3度鳴いて飛んでいった。

●四郎が竹の枝にとまったスズメに近寄って、呪文をとなえると、スズメは動けなくなった。 四郎はその竹の枝をおって、スズメといっしょに持ち帰った。

●四郎は大矢野から島原(湯島?)まで、海の上を歩いてわたった。

●宮津の道場で、四郎を怪物だとののしり、害をくわえようとした役人(合津玄察と下津浦治兵衛)の2人は、とたんに口がきけなくなったり、足が曲がったまま伸びなくなったりした。 許しをこいた2人に、四郎がお祈りをすると、元に戻った。


●四郎が大矢野岳の山頂で、西の海にむかってお祈りをしていると、海から赤い火が出てきて、大きな光の十字架になり、四郎と共に十字架も消えた。


 こんな摩訶不思議なことを見せられたら、当時の人々は肝をつぶし、四郎を救世主と信じ、キリシタンになってしまうのも無理ありません。 また、どんな善人でもキリシタンでなければ、死んだ後に天国へいけないという規律があったのも、大きな要因の一つだといえます。 (ちょっと営業的な気がしますが…。仏教の極楽浄土は天国と違うのかしら?)
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奇跡の少年