謎につつまれた少年
 天草・島原の乱については多くの書物が出版されています。 このサイトではその中のほんの数冊しか参考にしていません。 しかし、たった数冊のなかでも、家族構成から何からと、記述がまちまちです。 それもそのはず、実は天草四郎に関しての情報は皆無に近いからなのです(T_T)

 細川藩に捕らわれた母や姉、親戚の渡辺小左衛門。 原城から逃げてきて捕らえられた人(天草側の落人おちうど)。 乱でただ一人生き残った島原の絵師で、一揆軍の幹部でもあった山田右衛門作(えもさく) の供述から、少しだけ四郎の姿をみることができます。

●年は15〜18歳(母は16才と云ったと記されている)
●洗礼名はジェロニモ→フランシスコに改名(?)
●9才から手習いをし、14才と15歳の春、長崎に留学しに行き学問は優秀
●美少年だけど、頬にアザがあった。(美少年でないとも云われいます)
●髪は前髪を下ろし、後ろに紐で結び、赤っぽかった
●金銀緞子のきらびやかな衣装をまとっていた。
(白装束ともある)

 幕府が記した資料は、乱のあとに書かれたもので、原城から逃げ出してきた落人の証言では、四郎の顔すら知らない者が多く、幕府側は誰も天草四郎の存在を確認していないのです。 よって、幕府が記載した資料においても、ある程度の憶測が含まれています。
 あとは、それらの記述をもとに、天草四郎がどのような人物であったか、自分で想像するしかありません。

 せめて陣中旗を描いた、日本で最初の洋画家で、唯一生き残った山田右衛門作(えもさく)が、四郎の肖像画でも描き残してくれていたらなぁ・・・。
【天草四郎陣中旗】  国指定重要文化財
絵の中の天使は、四郎と山田の次男:権之助を描いたと云われています。
天草四郎人物伝
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