天草四郎の実家跡
現在の熊本県宇土市旭町にあります。宇土市運動公園のすぐ近く。探し出すまでに30分も時間がかかりました。

江部公民館という名前があるからこの辺のはず!探して回ったが分からない???近所の人に聞いても知らないという!!やっと「道路のあっち側になんかあったような・・・」と聞いて探したら、「あった!ここか〜!
えっ?

空き地の隅っこに、こじんまりとそれらしき物が建っている。もしかしたら四郎ちゃんはここで、
ここでここで生まれたのかも知れないのだよ!?

四郎君は天草・島原の乱に巻き込まれる前は、本名:『益田四郎』として宇土郡江部村に実在していた。そして生まれた・・・らしい。
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近くの船場川
この川で少年四郎は泳いだり
していたのかもしれない。
天草四郎ゆかりの里 
昭和33年3月14日 宇土市文化財指定


 寛永14年(西暦1637)に起こった天草・島原の乱の首領になった天草四郎時貞ゆかりの地であり、この付近(宇土市旭町江部)に住んでいたと伝えられる。曹洞禅宗の如来寺(現、宇土市岩古曽町)で学び、長崎へは頻繁に行き来していたようである。

 天草・島原の乱は、キリシタン弾圧と激しい年貢の取立てに対して起こったものであり、天草・島原の農民約3万7千人が幕府側10万余人に対して果敢に戦ったもので、原城の攻防は90日間に及んだ。

 天草四郎は、キリシタン大名小西行長の遺臣であった益田甚兵衛の子で、元は益田四郎といい、洗礼名はジエロニモ、後にフランシスコと改めた。首領となったのは16歳の時であり、江部に住んでいた母、姉、妹は捕らえられ、原城に立て籠もっていた一揆軍に対して、降伏を促すための人質となった。


平成2年6月1日 宇土市教育委員会